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武蔵野市と極東ロシアのハバロフスク市が、友好都市となってから今年でちょうど10周年。
でも、その実態は意外と知られていない。
そこで!「勝手にロシア通信」記者プロブレーマちゃんが、武蔵野市長、土屋正忠氏にうかがってみました。
――そもそもなぜロシアの都市と交流が始まったんでしょう?
まだソ連がゲンキだった頃、「ピオネールの家」というのがあったんですよ。そこの子供達から北海道の帯広畜産大学の先生のところに「日ソ間を行き来する渡り鳥の観察をやりたいので、市民グループを紹介してほしい」というお話があり、その先生がたまたま武蔵野市の野鳥の会を紹介してくださったんです。
――「ピオネール」ってソ連共産党のボーイスカウトみたいなものですよね。ソ連時代というと、いろいろ大変だったのでは?
あれは1987年、アメリカのレーガン大統領がソ連を「悪の帝国」と呼んで、スターウォーズ計画を推進していたような時代でしたからね。こんな状況でソ連と交流していいのか、という声もありましたが、べつに野鳥が核爆弾を積んでくるわけじゃない。
――た、確かに(笑)。
そこで私が「地球環境の目安になるからやってみたら?」とサジェッションしたのが始まりです。それから何年かは「井の頭公園でこんな鳥を見ました」「(ハバロフスクの)アムール川流域でこんな鳥を見ました」と渡り鳥の観察日記を交換する活動が続きました。
――そいうえば井の頭公園のカモはシベリアから来るんでしたっけ。
さらに大きな飛躍になったのが、1991年の夏。「これだけ観察の交流が続いたのだから、一度バードウォッチングに来ませんか?」とハバロフスク側からお誘いがあったんです。その時は教育委員会が窓口になっていたんですが、やはり相手がソ連ということで、受けていいものかビビッてましたね。
――それはやっぱり慎重になりますよねぇ。
しかしね、私はぜひ行きなさい、と予算をつけて子供達15人を送り出したんです。
もちろん私も同行しました。
アムール川というのは川幅20キロもあって、遠くに陸が見えるから「あれは向こう岸ですか?」と聞くと「いえ、中州です」とくる。そんな中州のひとつにバードウォッチング用の小屋があり、子供達はそこに泊まって野鳥を観察したり、水浴びをしたり……。
ところがハプニングがあったんです。ヤナーエフという優柔不断なおっさん(注:当時のソ連副大統領)が、クーデターを起こそうとして起こしきれなかったという例の事件。
――えっ! まさに8月のクーデターの時にソ連にいらしたんですか。ス、スゴイ! それは大変なことじゃないですか!
そうなんですよ。ところが東京ではそういう情報が飛び交っていて、子供達の父母のところへ新聞記者が押しかけていても、こっちは極東の川の中州にいるもんだから、さっぱり事情がわからない。
実は、事前に父母への勉強会を開いて「ソ連という国では何があっても驚かないで」とレクチャーしておいたんですよ。もともとそんなキャンプに子供を送り出す親は腹のすわった親ですから、新聞記者に「心配でしょう?」と尋ねられても「いえ、べつに」。これじゃ記事にならない(笑)。
しかし、子供達にとっては非常にいい体験だったと思いますよ。これは子供達のフィールドとして意義があると思いましてね。翌年の1992年、私が現地に行って、当時のハバロフスク市長テベルビッチ氏に、「武蔵野市と少年少女の交流を始めましょう」と申し入れ、協定を結んだわけです。
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ハバロフスクひとくちメモ
アムール河畔に広がる極東ロシアの中心地。ハバロフスク地方全体では日本の2倍の面積に人口たったの約152万人。うち約60万人が地方首都ハバロフスク市に住む。
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